神戸 北町 日の峰 塾 学習塾 小学生 中学生 高校生 個別 英語・言語力・思考力教室シンバ SIMBA 医学部受験 医大 京大

神戸北町日の峰 英語・言語力・思考力教室シンバ SIMBA
日の峰 英語・言語力・思考力教室シンバ SIMBA

◇ 塾長雑感 過去広告より 

日本人の英語力が世界最低な理由。子供たちがかわいそう過ぎる。 (非広告)




世界一労力を使って、世界一お金をつかっても、日本人の英語力は世界最低だ。



とよく揶揄されます。それはフェアーな目で見て間違いない事実でしょう・・・


なぜなんでしょう?

外国人はものすごく賢いんでしょうか?

それとも日本人はものすごく頭が悪いんでしょうか?



一旦事実を整理してみましょう。

①外国では

ご存知のかたも多いと思いますがインドネシアでもフィリピンでもエジプトでもケニアでも世界中どこにいってもほとんどの人が英語は話せます。

大人はもちろん子供たちも中学生なら英語がしゃべれない子供はほとんどいません!子供たちは普通に英字新聞を読んでいます。勉強のためではありません。彼らは新聞をひまつぶしに読みます。

さて、この発展途上国の人たちは日本人より猛勉強したのでしょうか?彼ら全員が日本より厳しい授業とテストに耐えて英語を習得したのでしょうか?・・・・ありえませんよね。学校に行ってないような子供もおじさんも英語しゃべってます。

②一方、日本では

中学、高校で6年間英語を習います。小学校の低学年のうちから英語を習い始める子供も少なくありませんね。かなり厳しいテストを数知れず受けます。大量の宿題をこなしそれだけでは足りずに大きな費用をかけて塾に通うのも一般的です。

しかし、不思議なことに・・・
高校卒業の段階で英語が話せる人はほとんどいません・・・
読み書きがしっかりできる人もほぼいません・・・
学校の中で「英語が得意な人」も全くしゃべれない、読み書きできない。

はっきり言えば「東大生でもまともに英語が使えません・・
(例えば、かなり実践に近いTOEICの東大生の平均点が650点程です。これは990点満点なんですね。しかも問題のほとんどが四択です。四択ということは誰がやっても四つにひとつは正解するんですね。つまり最初から約250点は確保されているんです。)

外国人が驚くのは日本の首相や外務大臣クラスの人たちが英語をしゃべれないということです。彼らの国では低所得者層であっても英語くらいは普通に話します。もちろん母国語も話します。
日本の学教授が論文を英語で書いたりすることがありますが外国人学者たちは日本人の論文を読まないんです。なぜなら日本人の書いた英語は訳の分からない単語がやたら並べてあるだけで英語圏の学者たちには読めないからなんですね。 驚くべきことに日本では大学教授クラスの人もきちんとした英語の読み書きが出来ないというのが事実なんです。


繰り返しますね
なぜなんでしょう?
外国人はものすごく賢いんでしょうか?
それとも日本人はものすごく頭が悪いんでしょうか?

はっきりとした理由がいくつかあります。できるだけわかりやすく説明したいと思います。


例え話にしてみます。

あなたが一念発起してサーフィンをはじめるとしましょう。
(何でもいいんです。ギターでもケン玉でも)そしてサーフィンのレッスンをうけることになったと。

指定されたレッスンの場所は街中の教室です。海ではありません。

手渡された教材は教科書です。サーフボードではありません。

しかもその教科書は分厚くて内容も何が書いてあるのか。日本語の解説を読んでも読んでもわかりません。

先生の指導は解説めいた話はほとんどありません。基礎技術の話も皆目ありません。つまり納得出来るような授業を経験することがほとんどありません。なぜならその手法は「丸暗記一本」だからです。
ただ教科書を覚えなさい、試験にでるから暗記しなさい。それこそがサーフィンだ!の一点張りです。楽しいはずのサーフィンがまったく楽しくありません。もちろんできるようにはならないでしょう。

当然ですが・・教えてる先生自身もサーフィンはそうやって教わってきました。教室の中で教科書を丸暗記してひたすら頑張ってきたのです。ですから実際にはほとんど海に出たことがありません。


おわかりいただけたでしょうか。日本の英語指導はこのいびつなサーフィン指導と全く同じです。


①リアルな英語の経験がほとんどない人たちが英語の教科書を書いている。

②そのいびつな環境で「日本人のなかでしか通用しない英語」が英語としてまかり通っている。

③当然、その歪な環境で英語を習った人たちが先生になっている。
「実はしゃべれない」「実はシンプルな読み書きが出来ない」ことを隠しながら英語の授業を
日々行なっている。自分の能力がバレないように高圧的な指導をすることがとても多い。指導される側はうんざりするのが当たり前。


これで子供たちがいくら頑張ってもができるようになるわけないですよね・・・



英語の教科書を書いてる大先生が本当に英語力をもっていないんですね。 実際のところ、中高生の使っている教科書を見ると私はその作り手の力量がかなりわかってしまいます。実践的な経験が決定的に欠けている人がとても多い。
実は、彼らの書いた英文の流れはあまりにもヨーロッパ人の文の流れと異なっていますし、彼らの行う単語のチョイスも外国人なら決してしない選び方です。外国人が読んでも首をかしげるような英文がいっぱいです。 つまり日本の中でしか通用しない英語なんですね。。。その結果、むしろ「外国人と」「音声を使って」なされる英語を下等なものだと位置づけているフシすらあります。


また現場の英語指導者たちは「教科書の中」、「教室の中」限定でしか英語の対応ができません。自分もそれ以外のアプローチの経験がありません。よってこの教科書は役に立たない。この指導では英語を習得することができないという判断ができません。




日本ではもう何十年もそうやってきました。いや実は明治時代に東大英語教授が出現した頃にさかのぼりますからもう100年になります。
この時代の英語教育界の重鎮の○○はイギリス留学時代、英語が通じず下宿に引きこもってしまい現地で生きた英語にほぼふれることなく帰国するや留学の実績を持って東大英語教授になっています・・・そんな彼らが日本の英語教育の基礎を作ってしまいました。実はここまで根が深いわけです。

先生たちもそうやって習った(波なしサーフィン、板なしサーフィン)のですから日本の英語教育はいまさらどうしようもないところに来てしまっています。早期からスタートしようが時間数を増やそうが中身がないのだから効果は期待できません。ひどい話ですが、「しょうがない」のです。

しかし子供たちは災難です。また納得のいかない生徒たちと向き合わざるを得ない先生たちも被害者といえます。



しょうがないといってもこれではあんまりだ。子供たちがかわいそうすぎる、ということで私は塾をやってます。


 

実はシンバの指導は極めてシンプルですサーフィンの指導なら、まずは当然教室の外に出ます。そして板と小さな波と安全確保の仕方を与える。そして毎日、海で存分に暴れてもらう。頃合を見て海流や波の見極め方を教える。そして私がなめらかな波さばきの基本を何度でも見せる。子供たちが操作ミスしても見極めのミスをしても子供たちが自発的にどんどん楽しめるような空気を作る。そして一緒に楽しくトレーニングする。教室外でもトレーニングする環境を作る。そして生徒が欲しいテクニックをそっと教える。


だからシンバの生徒はサボってる子でも英語で困っている生徒がいないというわけです。英語は物理などと違って「一部の人」しか理解できないようなものではなく、誰でもできるものです。その証拠に英語圏の人は「全員」しゃべれるわけです。

言葉(言語)は基本誰でも使えるものが言葉として、表現として生き残っていきます。これがほとんどです。プラスちょっとおしゃれな言い回しも細々と一部の人の間で残ります。
だから基本的に英語表現に難しいものはほとんどないというのが現実です。
だから日本以外の国ではどんな国のどんな子供たちでも英語くらいはペラペラ話せる。というわけです。学校に行ってないような人でもしゃべりますよね。


 


さて。何を言う!京都大に入る生徒も入れば東京大に入る英語力を持つ生徒もいるじゃないかと反論もありそうですね。

では実情をお話しましょう。実には京大、東大入試も合格点が6割を越えることはまずありません。確かにこういう国立大の二次試験は一見難しそうな記述問題なのですが、実は基本がしっかりしていれば応用の利くオーソドックスな問題がほとんどなのです。しかし半分ちょっと得点すれば合格圏内なんですね。

ですから東大、京大に合格したとしても半分近く(4割強)は失点しているわけですから、彼らでさえ会話はもちろん「そこそこレベルの読み書きを要求されても苦しいわけです。

特に英語の作文能力は壊滅的です。もちろん仕事として英語が使えるレベルではありません。

子供たちに莫大な犠牲を強いても、日常会話の能力すら与えられない日本の教育状況を私が肯定できるわけはありません。よその国の人たちには日本人の英語能力の乏しさはかなり不思議なものとして映っています。

 


「教えられる側に責任があるのではない。教える側に根本的な責任があるのは当たり前でしょ!」というのが私の考えです。先生に責任を押し付けようとしているわけではありませんよ。先生たちは自分が受けてきた英語の授業をベースにして(これがマズいんですが)工夫を凝らして懸命にやっている方もいます。「英語教育を仕切っている人たち」が問題なのでしょう。


日本人は外国語に向かない民族だ。という説
があります。迷信です。「日本の学校の外、日本の教室の外で習った英語」ならほとんどの人が身につけるようです。海外に出た日本人スポーツ選手が流暢に英語を話すシーンはおなじみでしょう。私は英語、スワヒリ語、フランス語をペラペラ話す日本人を多数知っています。(それを鼻にかけるようなタイプはあまりいません。ここが面白いところで中途半端な人はとても鼻にかけるのです。)民族的には問題ないと思います。皆、普通にしゃべってますので。私も生粋の日本人ですが民族としての限界を感じたことはありません。


英語には日本語にない母音、発音があるから日本人は英語に向かないという説
もあります。迷信です。どの言語にも特有の発音・発声ががあります。スペイン語にはその特有の音があり、ヘブライ語、タガログ語、フランス語、アラブ語、中国語すべての言語がそうです。 つまり、どんな言語の音も英語の音と一致しているわけではありません。でも彼らは英語を問題なく話します。細かい音は一致しないのでイタリア人はイタリア風の音で英語を話すわけです。これが訛りです。例えばperson が「ペルソン」となったりするわけですがほとんど問題はありません。私は通訳をしているときも「th」や「f」の音はテキトーでした。なんの問題もないどころか、現地にたくさんいる通訳者の中で私は最も仕事をたくさん請け負っていましたよ。そうしている間に経験を積んで少しずつ整っていったようです。子供が言語を習得するのと同じ順序で私の英語も進化していったと思います。

訛りがあっても英語は全然話せますし、通じます。また日本人よりひどい訛りの英語はざらにあります。イスラエル人は濁音の多い英語を話す人が多いし、韓国人の英語は濁音が少なくなるようです。エジプト人もインド人も訛りの強い英語をべらべら話す人が多いですね。しかし訛りがあっても意思の疎通は世界中の人が出来るのです。シルベスター・スタローンの初期の英語を「ロッキー」でご覧になると良いかなと思います。スタローンは当時キツイ訛りの英語を話していますがアメリカで問題なく日常生活をしています。日本では英語の発音をうるさく言う先生が昔からたくさんいますがこの人たちって英語話せないんじゃないの?教室の中でしか英会話したことないの?って私は思います。


子供たちの英語学習時間が不十分だ。根性が足りないという説
も耳にします。迷信です。というか、かなり罪深い大嘘です。子供たちはうんざりするほど英語を教え込まれ、宿題に終われ、文法用語を覚え、大変な労力を払っています。それを何年繰り返してもうまくいかないのを「生徒の責任」とするのは筋違いでしょう。指導者側に責任があるのはあきらかなのに、よくも子供たちを責めれるよな、と思います。指導者側といっても先生ではありませんよ。教科書をつくってる層、指導要項を決めてる層です。一般企業なら進退を問われるところです。現実にケニアやタンザニアのような教育設備が整ってない国でも中2、中3あたりでたいていの子供は英語をペラペラ話します。英字新聞も難なく読みます。「勉強のため」ではなく普通に暇つぶしに読むんですね。ヨーロッパの国はもちろんエジプトやフィリピンやインドでも状況はほぼ同じです。日本の大学教授よりどこか途上国の小学生の方がはるかに上手に英語を使いこなせます。日本の進学校の英語の先生より海外で活躍するサッカー選手や野球選手の方がはるかに英語がうまかったりします。


こんな現実を突きつけられる日本の英語教育者たちの常套句は「そんな英語は格調がない、品がない」なんです。私も50年ほど生きてますがそもそも「格調」とか「伝統」を振り回す人に怪しくない人はいないように思います。


しかし、実は日本の大学の研究者たちが学会など向けに書く「格調高い」英論文は外国人には相手にもされないことが多いのです。理由は「日本人の書く英文はいくら読んでも意味不明で気持ち悪いから」と彼らは言います。日本の外で通用しない英語で「格調」って言ってもしょうがないですよね。


つくづく日本の英語は「英語教育者のための英語」なんだなぁと思います。塾も予備校も無自覚に簡単なことを難解に難解に教えているように思えます。確かに先生たちは「難しいことを教えられる立派な自分」という先生像を実現したくなるものなんです。尊敬されたい。馬鹿にされたくない。という考えが逆に自分を窮地に追い込んでしまうのです。


だから難しい教科書を使うのが大好きな先生があとを立ちません。予備校では偏差値50以下の生徒を担当する先生が京都大学の入試問題で授業をして子供たちを悩ませているシーン、レベルが高い生徒が集まるクラスでは生徒が誰も見たことない単語、表現でいっぱいの教材(実は入試では全く役に立たない教材)を作り「お前たち知らないだろう?俺は知っている」と言わんばかりに授業を進め、生徒たちを困らせているシーンもあります。その手の話は全然珍しくはありません。
そんな自分のプライドのために子供の事情は平気で置き去りにする連中はごろごろいます。良心的に頑張る先生たちも教室の生徒たちが元気に勉強できてないなら、「指導の仕方を工夫してみよう!私が変わろう!」と是非考えて下さい。


「先生の仕事は教えることではありません。」生徒をできるようにすること。生徒を元気にすること。生徒に生きる力を与えること。生徒に希望を与えること。これが出来ていれば、いや、少なくともそのために日夜工夫を続けるならあなたは立派です。是非シンバに遊びにきてください。話しましょう。美味しいお酒も用意しますよ(笑)

しかし先生は本当に大変な仕事です。お互い体張って頑張りましょう。


ひとりでも多くの英語に悩まされている生徒さんにまともな英語の世界を見せてあげたいですね。将来的にますます英語習得に重きがおかれるのならシンバもできるだけのことをさせていただきたいと思います。

シンバ SIMBA 兵庫県神戸市北区日の峰4-14-11 TEL 078-581-6480

Copyright © 2012 シンバ All Rights Reserved.